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西条市禎瑞「嘉母神社」拝殿に紀元二千六百年記念(昭和十五年)として奉納された「龍の扁額(縦95㎝x横60㎝、金文字)」がある。額面全体を取り囲むように2匹の龍を向かい合わすように配した立派な物である。
扁額としては、今治市大西町脇にある「貴布祢神社」拝殿に一面。縦168㎝x横84㎝の欅材で昭和七年制作された。こちらの額縁まわりは唐草のみのシンプルな物。
また、まだ判明していない扁額がもう一面ある。道具箪笥の引き出しの中にあったよれよれの一枚の制作依頼書。「・・・龍額面込一尺四寸(約43㎝)のものといたします。文字は金箔は止めまして白色の塗料にと思います。・・・二月六日 近藤泰山様 ヨコは一尺(約30㎝)にしてはいかがでしょう」が残されているのだが、何処の神社に納められているのか?後の発見を期待するものである。


香川県三豊市「八柱神社」に昭和十六年、国民学校創設記念として建設された神門に、彩色仕上げ 高さ73.5㎝の「随神像二躯」がお祭されている。70年経った今、彩色も落ち始
めてきているので修復される事をせつに願う。
寺院には、釈迦牟尼佛像・観音像・不動明王像・蔵王権現像・鬼子母神像など多数の佛像を制作しているが、神社に奉納された像は、今治市「美保神社の神馬」とここだけと思われる。

最後の仕事となったのは、香川県三野町「弥谷寺山門の仁王像」であった。昭和九年、契約をするがその後、戦争悪化の為中断。昭和二十五年に再契約する。二七年に入りよく寝込むようになり、医者から手術をすれば助かると言われたそうだが、佛師ゆえ親に貰った体には傷を付けられないと手術は断わったそうだ。この仁王像は彩色仕上げとの注文であったが、病気の体を押し下地の胡粉まで塗ったところで体が持たず、仕上げの彩色を残し観音寺の職人に引き渡された。トラックの荷台に積み込まれた仁王像を、大きな数珠を首にかけ、お経を唱えながら手を合わせ、見えなくなるまで見送ったそうである。療養中、その枕元でいつも聞いていたのは、好きだった「浪花節と御詠歌」だったそうで、当時のレコードが数十枚残されている。この年の十月二十九日、胃がんのため亡くなる。

平成十一年から「仏師近藤泰山」を調査し始め十年余り、現存している所が110ヶ所、戦災や火災で焼失した所が11ヶ所が、現時点での確認されたものである。しかし、前述のように未発見の物が数多くある。近藤家などに残されている堂宮、佛像、欄間、だんじりなど1000枚に近い下絵やデッサン、当時の受注のメモとしての手帳などを読み取っていくと、泰山先生の四十年に及ぶその仕事は、だんじりや太鼓台彫刻、寺社の堂宮彫刻や佛像彫刻・お道具製作だけではなく、八百屋など商店の軒先に吊るされた「本日休業」や「掛売御断」などの札や、旅館の「看板」、民家の欄間・神棚・佛檀やお位牌、芸術作品とさえ言える置物やレリーフなど多種多様にわたり、実に、1500ヶ所以上に泰山彫刻は存在していたのである。
今回で伊曾乃神社への投稿も最終回となるが、現在、これまでの調査において見聞きしてきた事を「泰山本」として成る様、記録してきているが、その完成までにはまだまだ時間を必要とするようである。

いまだ見ぬ「泰山彫刻」
その存在を一つでも多く発見していきたい。また将来、心ある次世代の人の調査に引き継いでもらえたら幸いである。

西条市神拝乙(松之巷) 髙橋 清志